2004年レース結果

その他のレース

アテネ選考会        2004/05/30   4位   

全日本選手権大会     2004/07/18   6位   

世界選手権大会      2004/09/12   69位   

苗場MTBフェスタ     2004/09/26   2位   

アジア選手権大会     2004/10/10   2位   

JFCジャパンシリーズ

第1戦:小国大会     2004/04/18   リタイア

第2戦:仙台大会     2004/05/16   5位  

第3戦:箱舘山大会    2004/05/23   1位  

第4戦:冨士見大会    2004/07/10   2位  

第5戦:三瓶山大会    2004/06/27   3位  

第6戦:白馬さのさか大会 2004/08/01   1位  

第7戦:モヤヒルズ大会  2004/09/19   1位  

最終戦:瀬女高原     2004/10/03   リタイア

2004年アジア選手権フィリピン大会

  • 期日  :2004年10月10日(日)
  • 開催場所:フィリピン パナワン島
  • 参加者数:14名
  • 結果  :2位
  •  10月5日。日本からフィリピンのマニラへ出発。今大会会場のパナワン島へはマニラから一日1便しか飛行機がないためにマニラで一泊することになった。マニラは真夏の暑さに加え湿度が90%ぐらいあり、秋も深まった長野から来た私にはだいぶ応えていた。島に到着してから3日間雨が降り続いた。その雨も台風並みの降水量で、この島が水浸しになるのではないかと思ったほどだ。
     10月7日。雨の中での試走中、私はあの日痛い洗礼を受けた。日本の「さのさか」のような激坂を延々と登り、下りはその3分の1にも満たない距離で一気に下る。雨が降ると滑り出したら止まらないまるでジェットコースターのようなコースだった。そのコースを下っていた時、ブレーキをかけているのにもかかわらずぬかるんだ泥でさらに滑って、スピードはどんどん加速していく。間が悪い事に、強い雨が地面に埋もれていた木の根までをも掘り起こし、私はその太い根に激突し転倒。その際、サドルが左の溝落ちに食い込んだ。鋭い痛みと共に息ができない。これまでに何度が肋骨を折ったことはあったがその比ではない。その後なんとか宿舎へ戻ったものの私の身体も頭の中もその日から痛みに支配され続けた。
     晴天というより酷暑で向かえたレース当日。ライダー生活12年目にして初めてレース出場を辞したいと思った。肋骨の痛みは私を気弱にさせる。しかし、フィリピンまで来た目的は何か。日本で応援してくれるファンの方やスポンサー各社、私のスタッフの顔が浮かび「がんばれ」という4文字の日本語で、我に返った。身体がどこまでもつか分からなかったが、だからこそ最初から跳ばしていこう、そう決意してスタートへついた。
     コースは「さのさか」ばりのクライムセクションとドロップオフのようなDHセクション。さらに岩が突き出たロックセクションと合計30m強に迫る沢渡りで構成される。私はスタートの号砲を受け、一気に走り出した。1周目、丘の頂をトップでクリアし、下りは守りの走法で展開。2周目、野口が下りの前で私に追いつき、DHセクションを先攻させる。負荷を減らすためタイヤの空気圧は低く、ハイスピードでDHセクションを走ると簡単にリム打ちをしてしまう。追従をあきらめ先攻を許すものの野口はパンクをしてしまう。再びトップにたち独走する。最大で1分ほどの差を保っていた。しかし、4周目に入り暑さを感じた瞬間、痛みが私を襲い集中力を奪っていく。大失速。後方を走っていた竹谷にあっさり抜かれてしまう。しかし、ここで負けてなるものか、ともう一度自分を正す。自分自身に負けていいのか、と。ラストの周回に入り、日本チームのスタッフや、全信頼をおいている日本にいる自分のスタッフの顔がぼーっと浮かび上がり私の限界ギリギリの痛みを追いやってくれた。ゴール後はとにかく痛みとの戦いで、こんなにも痛い経験は初めてであった。帰国後病院で診察を受け「左肋骨第9番の骨折」を確認した。レースが走れたというのに今はパソコンのボタンひとつ押しても痛みが走り、耐えられない状況である。
     レースは決してひとりで走っているわけではない。私の走りには大勢の方々の思いが込められている。だからこそ今大会もゴールを目指す事ができたと、あらためて思っている。心から御礼申し上げたい。お力添えをどうもありがとうございました。
     今年は6月に島根県のレース中にアシナガ蜂に刺され、その後一ヶ月間手足のしびれが続き、満を持して臨んだ世界戦では転倒し右足を痛めた。最後の最後までトラブル続きのシーズンであったが、私は大事なことを学んだ。あきらめないかぎり、自分の足を止めないかぎり、前へ進むことができる事を。2004年、温かいご声援をいただき、本当にどうもありがとうございました。来期も目指す目標に向かってがんばってまいりますので、引き続きのご声援をどうぞよろしくお願いいたします。どうもありがとうございました。

    競技結果
  • 1位:竹谷 賢二  (日本)
  • 2位:山口 孝徳  (日本)
  • 3位:MASAE Tawtchai(タイランド)
  • 20041010

    2周目のフィードゾーンにて。  日本チームへのご声援をどうもありがとうございました。

    JCFジャパンシリーズ最終戦@石川県MTBワールド瀬女大会

  • 期日  :2004年10月03日(日)
  • 参加者数:男子エントリ−クラス約79名
  • 結果  :3周目パンクリタイア
  •  優勝でシーズンを締めくくりたいと臨んだ最終戦。スタートはまずまずだったが直後に少し前の方で小競り合いがあり、ブレーキをかけながら回避する。この間トップと少し差が開いてしまったな、と思うものの気にせず走り出した。1周目はなんとなく身体が重く感じられたので無理はせずペースをじわじわあげる。6〜7位くらいで2周目をむかえる。しかし、滑りやすい路面でフロントタイヤをすくわれ転倒。すぐに立て直し前走者に追いつく。が、走行中に何故か吐きたくなり嘔吐してしまった。この時、あまり体調が良くないな、と判断するも追いかける体勢は崩せない。崩したくなかった。しかし、フラフラしてしまい2度目の転倒。こういう時もある、と冷静な自分がそこにいた。全力で走り続ける。3周目に6位前後で先頭を追走中、木の枝が後輪に突き刺さりパンク。この時点で集中力も途切れた。修理しながらぬるぬる滑る泥で手元を乱されタイムロス。修理を終えたものの残りの周回数では追いつけないと判断。1週間後のアジア戦のことも考慮しリタイアを選択した。
     今季はオリンピックの出場を大きな目標の柱にかかげ、挑んだものの結局叶える事ができずに終わってしまった。しかし、シリーズ総合優勝を飾り2004年のシーズンを終える事ができた。これもどんな時にも私を信じ、支え、応援を続けてくれたファンの皆さんと、スポンサー各社、私のスタッフ、相棒である自転車のおかげであると、心から感謝を申し上げたい。本当にどうもありがとうございました。今年のシーズンでレースという戦いの場で得たことを、私は生涯忘れる事はないでしょう。試練というには小さすぎるかもしれないが、トラブルや出来事の多くが私を強くしてくれたはずだ、そう思っている。2004年を走り続けた中で今年ほど人の優しさや、自転車を想ったことはなかった。良いシーズンでした。
     ご声援をいただきどうも有り難うございました。 来季も引き続きのご声援をどうぞよろしくお願いいたします。

    競技結果
  • 1位: 色川 浩樹(ジャイアントジャパン)
  • 2位: 辻浦 圭一(ブリジストンアンカー)
  • 3位:小笠原 崇裕(ゲイリーフィッシャー)
  • 2004年スペシャル Thank You!

    山本家、井上君、大阪ファンクラブ、青森ファンクラブ、柳原さん、荒さん、徳さん、猪野さん、唐澤さん、まさやさん、遠藤君、藤井さん、真理さん、関さん、滝川さん、愛子さん、太田さん、富澤さん、山田さん、江原さん、古本さん、森井さん、村田さん、岡部さん、みのるちゃん、れいちゃん、ミッチー、野原さん、なかやまさん、宇佐見さん、川越さん、関根さん、まこさん、松井君、のぶちゃん、次郎さん、高橋ご夫妻、ゆきすけ、野原さん、木城、ツカちゃん、カイエン、家族(順不動)

    20041003

    シリーズ総合表彰式にて。ご声援有り難うございました!!

    苗場MTBフェスタ 第23回マツダカップ

  • 期日  :2004年9月26日(日)
  • 参加者数:チャンピオン約14名
  • 結果  :2位(日本人1位)
  •  今大会の招待選手、マルチネス選手と競えることは心の底から嬉しく、  願ってもいないチャンスだと会場入りする前からとても楽しみにしていた。彼と初めてレースで会ったのは1996年。シドニーオリンピックでは、金メダルに輝く実績をもつ。月日は誰にも平等に流れるが、実力の差はなかなか詰まらない。根本的に考え方を正す良い機会にもなった。この大会は賞金レースになっており、参加選手は少ないものの、盛り上がりをみせる。スタート直後はスタートループ賞を狙い一気に一列棒状態に集団がのびる。私はこの賞は狙ってはいなかったので3番手で通過。トップのマルチネスに追いつく。走りの違いを目の当たりにした。だんだんにその姿が小さくなっていく。差を詰めようと踏ん張るが、世界戦で痛めた右足が気持ちに追いつかない。連戦の疲労を考えてイーブンペースに切り替える。この差は仕方のない事だと自分自身に言い聞かせる。今年4回目の悔しい瞬間でもあった。後続の順位にも変動があり、スタート直後にマルチネスと激しく競った宇田川が一旦順位を落としたものの3位に浮上。激しい追い上げと共に彼の気配を感じラスト1周は全力で走り40秒差を守る。本来ならば「プチ世界戦」でのデットヒートを狙いたかったが、順位はそのまま2位でゴールとなった。マルチネスが来日し、しかも手を抜くことなく競争してくれ、私はこれからの課題を彼からもらった気がしている。まだまだ世界に向けて足りない事は山ほどある、と本当に価値のある一日となった。ファンの皆さんの応援とこの大会に携わった全ての関係者に御礼をお伝えしたい。どうもありがとうございました。

    競技結果
  • 1位:ミゲール・マルチネス
  • 2位:  山口 孝徳   (MX/MONGOOSE)
  • 3位: 宇田川 聡仁   (ブリジストンアンカー)
  • 優勝を確信しゴール直前で後ろ向きのままフィニッシュのマルチネス選手! 2位でゴール。ご声援をありがとうございました!

    20040926

    JCFジャパンシリーズ第7戦@青森県モヤヒルズ大会

  • 期日  :2004年9月19日(日)
  • 参加者数:男子エントリ−クラス約67名
  • 結果  :優勝
  •  世界戦で右大腿部を痛めてから日も浅く、心配な材料をかかえての青森入りとなった。時差や疲労も心配だったが利き足の負傷によりそれどころではなかった。悪天候により周回数の変更が急遽行われ全長6、2kmの5周回となる。
     スタート5分前には自然と集中力が高まる。このレースはいけるぞ、と感じながらスタート合図を待った。号砲の合図後、ぬかるんだ足下を確認しながら15番手でシングルトラックへ入る。すぐに7番手へ上がり1周目を終える。トップを走る色川とは40秒差。レコードラインを探しつつ4番手へ。3周回目にシングルトラックで足下を滑らせている前走者を一気にパス。その時にはトップの色川の姿を捕らえていた。すぐに追いついたが一息入れ呼吸を整える。後方を振り返ると姿こそ見えないが誰かが近づいてくる気配を感じた。残り2周だ、勝負に出よう。そう決めてラストスパートをかける。20秒、30秒と差を広げながら、ぬかるんだ足下にすくわれないよう注意しながらゴールを目指した。残り100メートル付近でレースを盛り上げてくれているDJの方から、「山口孝徳間まなくトップでゴールをする模様です」とアナウンスされ、心から嬉しさがこみ上げてきた。この青森大会には地元からの大声援もあり、ファンの方や大会関係者、私の全スタッフにありがとうを贈りたいと思った。ご声援をいただきどうもありがとうございました。

    競技結果
  • 1位:山口 孝徳(MX/MONGOOSE)
  • 2位:竹谷 賢二(フォード・スペシャライズド)
  • 3位:色川 浩樹(ジャイアントジャパン)
  • 20040916

    2004UCIマウンテンバイク世界選手権大会

  • 期日  :2004年9月12日(日)
  • 開催場所:フランス/レジェ
  • 参加者数:男子XC約120名
  • 結果  :69位(マイナス2ラップ)
  •  晴れなのか雨なのか、この選択が明暗を分けたのかもしれない。午前中は間違いなく雨だったが、スタート前から雨は上がり晴れ間をのぞかせる。それがすぐに曇る、そんな天候だった。私はドライタイヤに懸けた。
     スタート後は軽快に走り出すも前走者が単独スピンしブレーキがかかった。遅れをとるものの「なんとでもきく」とつぶやき、再スタートをきった。走る事や登ったり下ったリが難しいセクションの度に渋滞が出来ていたがきわどいラインでパス。この時は80番手くらいを走行。よし、これからだ!と思った矢先。穴を塞ぐゴムマットがめくれていたのだ。車が急には止まれない、のように私のタイヤはロックし穴に吸い込まれた。大きく前転し右大腿部に激痛が走る。これまでか、と一瞬頭をよぎったが2004年のたった一度しかない今年の世界戦じゃないか!誰にもぶつけることが出来ない自分自身への怒りが足の痛みを麻痺させた。何番でもいい。走りたい。その思いだけでペダルを回していた。競技中は自分が今、何周目を走っているのかさえわからなかったがとにかく、とにかく走り続けた。結局、ラスト2周を残してゴールとなった。
     ゴール後寄宿舎に戻ってからはふーというため息をひとつしてからはもう考える事をやめた。来年がある、そう思えるようになるまでには時間が必要だったが、私を信じ応援をし続けてくれたファンの方やスポンサー各社を思い立ち直った。レース毎に課題をもらうが、この体験を糧に今後とも精進していこうと思う。ご声援をいただきどうもありがとうございました。   

    競技結果
  • 1位:ジュリアン・アブサロン   (フランス)
  • 2位:セドリック・ラバネル    (フランス)
  • 3位: トーマス・フリシュクネヒト(スイス)
  • 世界戦出場にあたりご協賛をいただいた皆様です。ご支援をいただき心から感謝を申し上げます。どうもありがとうございました。
    関根稔様、斉藤尚久様、岡本リエ様、家族また、現地情報のご提供をいただいた荒瀬大雅さまにもこの場を借りて御礼申し上げます。

    20040912

    右:日本のプラカードを持ってくれた子どもたち  中央:スタート45分前!(左側色川浩樹選手、右側鈴木雷太選手)

    JCFジャパンシリーズ第6戦@長野県白馬さのさか大会

  • 期日  :2004年8月1日(日)
  • 参加者数:男子エントリークラス約95名
  • 結果  :優勝
  •  確かな目標を掲げ、身体的にも精神的にも徹底的に鍛え臨んだ04年。 しかし、アテネ選考会は破れ、全日本も落とし、言葉を無くした。今大会直前に95年頃から時にスポンサー担当者であり、時に友人であり、自転車仲間でもある男性から一通のメールをいただいた。「勝っても負けてもいつも楽しそうに走っていたさのさか大会。山口さんの無邪気な笑顔を見に行きますね。」この言葉がずっと頭に残って離れなかった。
     今大会では、公式戦の前日にクロスカントリータイムトライアルが実施される。例年私は参加しないでいた。それは誰もが、そして自分自身も「スタートの出遅れ」を認めていたからだ。しかし、この「出遅れ」は技術的なものでなく精神的なものだとトレーニング中にふと気がついてそれを試したいと思うようになっていた。いいや、証明したいと思った。結果2位でゴールとなり、明日への気合いが入る。
     レース当日。東京から親愛なる「TEAM山口孝徳」のスタッフが到着し、顔を合わせた瞬間、今日はいける!そんな気持ちになっていた。スタート直後のさのさか名物の長い登りは最速ラインをギヤをかけて走り、コース頂上でトップに追いつく。カウンターアタックで野口が下りパートへ突入、私は2番手で彼を追う。下りきった所で追いつき、トップ集団形成かと思いきや竹谷が上りパートでアタック。順位は竹谷→山口→野口。2周目のクライムセクションを竹谷・山口で逃げる格好となり後続を離しにかかる。その後、何度も竹谷がアタックをするが一発のキレがないと判断。3周目のロングクライムで明らかにスピードが鈍っていたので先頭に出て様子をみることにした。すると苦しそうな表情をちらつかせたので、4周目からはこのまま逃げをうつ作戦に決めた。スタッフから「ボトル(補給)を取れ!」と指示が出る。レースに夢中になってくると我を忘れてしまいがちだが、身体が水分・栄養を欲してからでは手遅れだ。こういった的確な指示も力に変わる。その後も私の足は力強くペダルを回し、後続を確認してももう姿は小さくなっていた。スタッフから30秒、1分、1分40秒!とタイム差を聞きそれでも足の力が緩まることはなかった。
     トップで森を抜けメイン会場へ戻った時「やった!!」と声が出た。ゴール後、出迎えてくれたスタッフの顔を見た瞬間、頭の中のモヤが晴れた気がした。たくさんの応援が力になった。ダメな時にも見守り、励まし続けてくれた全スタッフにこの優勝を捧げたい。ご声援をいただき心から感謝を伝えたい。どうもありがとうございました。

    競技結果 7/31タイムトライアル
  • 1位:小笠原 崇裕(ゲーリーフィッシャー)
  • 2位: 山口 孝徳(MX/MONGOOSE)
  • 3位: 鈴木 雷太(ブリジストンアンカー)

  • クロスカントリー
  • 1位:山口 孝徳(MX/MONGOOSE)
  • 2位:竹谷 賢二(フォード/スペシャライズド)
  • 3位:松本 駿 (トレックジャパン)
  • 20040801_1

    松本選手の子供達と一緒に!

    20040801_2

    タイムトライアルのスタートを待つ

    2004全日本選手権大会inあきた/たざわ湖

  • 期日  :2004年7月18日(日)
  • 参加者数:男子エントリークラス約98名
  • 結果  :6位
  •  アテネオリンピック代表に破れ、一時は何事にもやる気が起こらず冷静さを装う自分自身に対しても嫌気がさす日々を過ごしていた。しかし、全日本がまだあるじゃないか!と5月30日以降走り続けてきた。そんな気持ちの中で辿り着いた全日本。雨の強さが増す空を観上げながら、空っぽな心の中と向き合っていた。
     雨天のために急遽周回数が4周から3周に変更になった。スタート直前の変更ではあったが、コースの状況を思えば仕方がないと思う。周回数が減ったことで、レースは1時間30分のスプリントレースが予想された。
     1周目出遅れて、10番手くらいを走行。先頭パックはコース最高標高地点へ向かう。そこから一気に懸け下る「黒い森」は泥沼になり困難を極める。私は些細なミスが命取りとなり、大きくコースアウトしてしまう。復帰に時間を使い1周目を終えた頃にはトップと2分も差が開いていた。2周回めのロングクライムセクションを全力で登り追走するが「黒い森」でロスタイムを気にするあまり再び転倒。追走も出来ず、早くも最終ラップとなる。幸い転倒による怪我はなかったが、3週間前に蜂に刺されてから指や足先のしびれが取れず、身体と自転車のバランスが悪い。あっという間に最終周回となり、気がつけばゴールをしていた。
     6位であった。走り足りないとか、悔しいとか、そういった気持ちは何も無く終わってしまった。今年に残したかった結果も生み出せず、空っぽな気持ちだけが残った。終わってしまった・・・。こういう状態をスランプというのだろうか。それすら判明出来ないでいる。ご声援をいただいた皆様には、大変申し訳ない結果ばかりで恐縮ですが、今後ともどうぞ宜しくご声援をお願いします。

    競技結果
  • 1位:野口 忍 (トレックジャパン)
  • 2位:竹谷 賢二(フォード/スペシャライズド)
  • 3位:色川 活樹(ジャイアントジャパン)
  • 20040718

    (左)オイルマッサージを古本メカニックにしてもらう  (右)スタート直前

    JCFジャパンシリーズ第5戦@島根県三瓶山大会

  • 期日  :2004年6月27日(日)
  • 参加者数:男子エントリークラス約63名
  • 結果  :3位
  •  スタートの出遅れが今季のレース結果を左右する原因のひとつでもある。  今大会ではスタート後から順調に走り出し、2番手につけていた。しかし、1周目中盤で顔に泥が飛んできたと感じ、手で払ったのだが、その時には  既に蜂に刺された後だった。この蜂のひと刺しが私の運命を分けた。天候不良でテクニカルセクションが急遽当日にカットされたこのコースは スピーディーな展開となるため前半にトップグループで走る意味は大きい。2周目には前を走る先頭を捕らえ、よし、ここから!と気合いを入れる。が、この頃から熱射病のように肩から首・頭がやたらと熱くなり、周回を重ねるごとに集中力も意識も失っていく。4周目にはラインをトレースすることも困難になり、右腕までもいうことをきかなくなる。自分の中では後半からの追い上げに期待をするが、身体がバラバラで今にも分解しそうな程である。6周目にはとうとう足にまで力が入らなくなり3位に順位を落とす。そのままゴールとなった。ゴール後、まっすぐに歩けない私の異変に気づいたがスタッフが、 右の頸動脈付近を指差し「蜂に刺されてる!」と見つけてくれた。表彰のスケジュールもあるためじっとしていたが、吐き気と寒気に襲われ、表彰式の事は一切覚えていない。全てを終え、救急病院へ運ばれた。生涯で3度目となるこの事故。蜂に刺される度に蓄積されるこの毒は処置が遅いと死に至るそうだ。
     ここ最近、本当についていない、と思わず口をついて出るが、こんな時こそ自転車に乗らなければ、練習をしなければ、と思う。今大会は調子がよかっただけに本当に残念な結果となった。
     ご声援をいただいた皆様には本当に申し訳ありませんでしたが、来月の全日本に向けて気持ちを整え頑張ってまいりますので、どうぞ今後とも宜しくお願い致します。ご声援をいただきどうも有り難うございました。

    競技結果
  • 1位:野口 忍 (トレックジャパン)
  • 2位:竹谷 賢二(フォード/スペシャライズド)
  • 3位:山口 孝徳(MX/MONGOOSE)
  • 20040627

    JCF MTB XC全日本選手権大会@長野・冨士見パノラマスキー場

  • 期日  :2004年6月6日(日)
  • 参加者数:男子エントリークラス約70名
  • 結果  :2位
  •  雨で向かえた今大会、登り下り共にテクニカルな点では公式戦随一スタートで勝敗が決まってしまうコースだと感じた。サーキットの距離も最も短く、追い越しポイントも少ない。スタート直後は10番手を走行。しかし、レース開始早々の大渋滞に頭が痛くなった。この時点ではまだ先頭は見えていた。    周回ごとに順調に追い上げ、3番手で中盤を終える。コース脇のサポーターからトップとの差を「1分!」と聞かされる。1分の差ならまだ追い上げが可能なタイム差だと、気持ちを新たに走り出す。雨は強弱を繰り返し、私も全力以上の走りで追走するものの数回の転倒によりあっという間に1分50秒差まで広がってしまった。 幸い、自転車の故障も怪我もなく走り続け、最後の追い上げも叶わず2位でゴールとなった。今大会で4週にわたり続いた戦いが終わった。梅雨時期に入る前からの雨レースではあったが、この連戦の間、共に走ってくれたファンの方々とスタッフの皆に心より御礼申し上げたい。 ご声援をいただきどうもありがとうございました。
     後半戦も宜しくお願いいたします。

    競技結果
  • 1位:色川 浩樹(ジャイアントジャパン)
  • 2位:山口 孝徳(MX/MONGOOSE)
  • 3位:竹谷 賢二(フォード/スペシャライズド)
  • 20040606

    撮影者:山本みち子

    第28回オリンピック競技会マウンテンバイク日本代表選手選考会in八幡浜

  • 期日  :2004年5月30日(日)
  • 参加者数:第1・2次選考会上位50名
  • 結果  :4位
  •  スタートループ式を採用した今大会。チームメイトのおかげでスムーズな スタートをきる事ができた。スタート直後のシングルトラックは10番手 でコースイン。1周目のメインアップヒルで竹谷選手をダンシングであっさりとパスしトップグループへ追いつく。好調具合を知る好材料であった。後半で確実な展開をするために様子を伺う作戦にシフトした。通常なら常勝パターンとなるはずだが・・・。暑さを感じ始めた時には頭が痛「脱水」を感じた。水分を取るが身体が徐々に冷たくなっていった。3周回目に入ると足に全く力が入らず大失速をしていく。何が身体におきたのか分からず、混乱し集中力を欠いてしまう。4周目に冷静に今起きていることを受け入れコースに集中する。トップグループから遅れる選手をとらえるが先頭との差は開く一方。自分のペースが遅いと感じながらも2時間を超えたあたりから力尽きた選手をとらえるだけで精彩を欠く走りのままである。最終ラップの頃には体力的には何も残っていなかった。
    が、たくさんの応援を力に気力だけで走りきった。
     応援に駆けつけてくれたファンの方々を含めたスタッフがゴールで待っていてくれた。みんなが自分のことのように涙で目が赤くなっている。フラフラになり負けて帰ってきた。私を温かく向かえてくれた。励まされた。その次の瞬間には、私には、スタッフの目の奥のに「山口孝徳、復活してくれ!」というメッセージを読み取った。気持ちを切り替え新しいスタートをきる事を誓い大会を終えた。
     アテネを目指したこの3年間。特に2004年に入ってからはアテネへの夢を実現させるためだけに生きてきた。夢が破れた者はどうなってしまうのか、想像も出来なかった。が、今、私が感じていることに「夢が叶わなかったことにこだわるよりも、夢を持って生きてこられたこと」に感謝し、これをステップにさらなる飛躍を目指し走り続けることだと思っている。私のためにお力添えをいただいた、「チーム山口孝徳」全スタッフに心から感謝をしたい。ご声援をいただきどうもありがとうございました。これからもどうぞご声援をよろしくお願いいたします。

    競技結果
  • 1位:竹谷 賢二(フォード/スペシャライズド)
  • 2位:色川 浩樹(ジャイアントジャパン)
  • 3位:山本 和弘(キャノンデール・マキシス)
  • JCFジャパンシリーズ第3戦@滋賀県箱舘山大会

  • 期日  :2004年5月23日(日)
  • 参加者数:男子エントリークラス約80名
  • 結果  :優勝
  •  体調不良が続いていたために、下の駐車場から会場までアップがてら自走であがりコンディションを確認する。悪くはないが、良くもない、そんな感じであった。しかし、起床時に頭が痛く、顔がパンパンに腫れていたことを思い出し、スタート直後のオーバーペースには気をつける事にした。
     スタート後は先頭集団が一列棒状態となり、20〜30番手を走る私からは全く見えなかった。一週5Kmを9周回ということだったので、あせらずに周回を重ねる。予想通り身体は重いままだが、先頭集団がばらつき始め、私の順位が上がっていった。6周目頃から身体にキレが現れ、積極的にペースを上げていく。遂に8周目にトップを捕らえ最終周回を知らせる鐘の音と共に加速した。走れば走っていくほど身体が軽くなっていき「楽しく走ること」ができた。今大会には私のスタッフのみならず、たくさんの方々にご声援をいただき追い風になった。有り難かった。 最後の調整をしっかりと行い30日のアテネ選考会へつなげていきたいと思っている。ご声援をいただきどうも有り難うございました。

    競技結果
  • 1位: 山口 孝徳(MX/MONGOOSE) 
  • 2位:宇田川 聡仁(ブリジストンアンカー)
  • 3位: 野口 忍 (トレックジャパン)
  • 20040523

    JCFジャパンシリーズ第2戦@宮城県仙台大会
    (アテネオリンピック代表選手第二次選考会)

  • 期日  :2004年5月16日(日)
  • 参加者数:男子エントリークラス約91名
  • 結果  :5位
  • 開幕戦でのリタイアによりポイントがない私は好ポジションとはいえない場所からのスタートとなった。しかし、1周目はトップから30秒差をあけるものの10秒差まで詰め寄っていた。このスピードがあれば2周目には先頭パックへの仲間入りができる、と読むが急に身体の動きが鈍くなり失速。雨で濡れ始める路面に気持ちが焦ったのか転倒をしてしまう。足には力が全く入らず思うように走れない。この身体の状況が2周〜6周目まで続き7〜8番手を走行。実際、自分自身飽きれるほどのスピードの失速に集中力が失われた。
     この身体の感覚はどこかで体験した覚えがあった。2年前の台湾で行われたアジア選手権大会時だ!左足を負傷し救急病院へ運ばれ、縫合処置を受けた際、注射を受け、薬を服用した途端私には合わなかったようで副作用が強く現れフラフラになったあの時の感覚だ!あの時は汗をかく度に薬の匂いが体中から臭ったが、走り続けるうちに徐々に身体がスッキリしていったことを思い出した。今日もきっとこのまま走り続けていれば身体のエンジンがかかるはずだ・・・そう言い聞かせ耐える事にした。(念のために申し上げますが、私は健康で、薬は服用しておりません)ラストの7周目には急に身体が目覚めたようなキレのある走りに切り替わり、2分先の前走者まで追撃し5位でゴールとなった。
     力を出し切る走りには程遠い不完全燃焼のレースであったが、レース終盤のあの走りの感覚は私の大きな収穫になった。この走りがスタートから実現できるよう調整をとり、箱館山・八幡浜大会へとつなげていきたいと思う。ご声援をいただきどうも有り難うございました。

    競技結果
  • 1位:竹谷 賢二(フォード/スペシャライズド)
  • 2位:鈴木 雷太(ブリジストンアンカー)
  • 3位:色川 浩樹(ジャイアントジャパン)
  • 20050616

    JCFジャパンシリーズ第1戦@熊本県小国大会
    (アテネオリンピック代表選手第一次選考会)

  • 期日  :2004年4月24日(日)
  • 参加者数:男子エントリ−クラス約92名
  • 結果  :4周目リタイア
  •  前日までの晴天とは裏腹に私のクラスのスタート時より雲行きがあやしくなる。しかし、このオフシーズンに備えた体力や身体がある以上、恐れるものは何もなかった。スタート直後は5〜8番手で走行。オリンピックイヤーに懸ける面々の走りを見る。1周目の後半には4番手になりさぁ、エンジン始動!と思った同時期に、登りでのギヤの異変に気がついた。リヤ変速機の不調だ。上り坂の度にチェーンがかみ込みバイクを降りチェーンを復帰させる作業に時間と集中力が奪われて行く。徐々に作業の回数と所要時間が増していき2周目4位から25位、3周目には12位から46位と転落していった。私のスタッフからはリタイアを選択するよう指示が出るが、私はそれだけは絶対に、絶対にイヤだと思った。しかし、悪循環の行く末はとうとう走行不能の状況を招き、4周目でリタイアとなる。
     現場では今回のトラブルの原因が全く掴めず、今後のトラブル回避のために帰路の途中、シマノ本社を訪ねた。メカニックの最高峰西野氏の協力を得て検証した結果、変速レスポンスを速めるためのオーバーストロークが原因と判明。民間調整のコツが引き金になったようだ。西野氏のメンテナンスを受けたバイクは何もなかったかのように走り出した。それはプラスドライバー2分の1回転の差だった。
     オフの間で仕上げた身体と自転車の力とが一体となれなかったことは残念であったが、これまで「慣れと経験」からおろそかにしてしまいがちな基本を今、この日に教えていただけてよかったと西野氏をはじめ親身に対応をして下さったシマノスタッフに感謝している。身体のコンディションを万全に持っていったが、それだけではいけない、という当たり前なそしてバイクレースの難しさを再確認。気持ちを入れ替え次のレースに備えていきたいと思う。ご声援をいただきどうも有難うございました。

    競技結果
  • 1位:野口 忍 (トレックジャパン)
  • 2位:竹谷 賢二(フォード・スペシャライズド)
  • 3位:鈴木 雷太(ブリジストンアンカー)